心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後320日目、ウォーキングに出るかどうか迷ったが、まだ気温も28度くらいだったので、思い切って出て来た。

ということで、公園のベンチに座っている。


流石に歩いている人は少ない。


そういえば、お盆休みに入っているだろう。


昨夜のヒーラーのメルマガでは、お盆は先祖の供養をすると、自分のオーラが綺麗になると書いてあった。


そういえば、先祖のことなんかあまり考えたことはない。


そういえば、育った家の部屋の鴨居には曾祖父さんの写真がかけてあった。


まあ、オーラが綺麗になるんだったら、少しくらい先祖を供養してもいいだろう。

と、こんな損得丸出しでは、オーラが綺麗になるはずはない。


深く考えないで、淡々と思うくらいがいいだろう。


昨日は石原慎太郎さんの読みかけの亀裂という小説の続きを読む予定だったが、amazon primeで面白そうなのを選んで観たが、残念ながら、心に響くものはなかった。


強いて言えば、最後にちょっとだけ観た、お金持ちの夫に死なれた美しい女性が、死後、旦那の借金がわかって、生活が急変して、アパレルの店員として働く姿を描いたイタリア映画が、目の保養になったくらいだ。


イタリア語を綺麗な女性がしゃべると、そそられるから不思議である。


今日は、またお気に入りのカフェで、マカンマランの4冊目を読む予定であるが、帰ってきたら、今度こそ本を読もう。


そういえば、昨夜はキャロルキングのタペストリー(邦題 つづれおり)を、久しぶりに聴いた。


ブログで、我々と同世代の方達が、思い出したように、名前をあげられるミュージシャンで、持っているCDがあれば、探し出して、数年ぶりに聴くことになる。


我々の体や魂に、まだまだ、奥に潜んでいる、宝物があるかもしれない。


思いっきり自分を揺さぶって、出してみるのも面白いだろう。


体を動かしたり、心を動かしたり、そして、その後は、出て来たものの中で静かに佇んでみよう。


甘酸っぱい青春の雰囲気を楽しめるかもしれない。


あるいは、熟成した大人同士の心の交わりを感じられるかもしれない。


まだまだ、枯れるのには早すぎるだろう。


今日は心と体を揺さぶって、出て来るものを静かに感じてみようと思う。


静かなる男の本領発揮である。(笑)