退職後752日目、曇り空の金曜日、今日もウォーキングデー、予定通り。
ということで、公園のベンチからである。
ウォーキング途中のため池では今日もたくさんの鷺とアヒル(たぶん)が集まってきていた。
毎年なのだろうが、一年も経てば忘れてしまう。
一年というのは忘れるにはちょうどいい間隔なのかもしれない。
5年日記帳に日記を付けていて、今年でこの日記帳も5年目で完了する。
最初は3年日記帳を買って、それからこの5年日記帳を買ったので、8年続いている。
ということで、去年とか一昨年とかの同じ日の出来事が分かるのであるが、事柄は覚えていても、一年前か二年前か、分からなくなっている。
もちろん一年一年がそうなので、人生単位で考えたら、もっと時間軸の感覚は無くなっているだろう。
スピリチュアル系では、過去とか未来とか現在とか同時に存在しているというような分かったような分からないようなことを誠さやかに言うのであるが、感覚的にいえば当たっているのかもしれない。
ただ、せっかく生まれてきて、赤ちゃんから幼年期、青年期と、色んな時期を体験出来るので、それぞれの時期を楽しむのも、また人間的で面白いだろう。
とは言うものの、やっていることは、とにかく若さを保ちたいことに費やしていることもまた人間的で、面白い。
毎日ブログに書くことがあって、日記帳に書くことがある、それだけでも幸せである。
人生はよく分からないからこそ生きる価値がある。
例えば、図書館で本を借りてきて、初めて読む本のページをめくっていく感覚である。
今日のページに書かれていることを読むのか、白紙のページに自分で綴るのか、もしかすると、もっと複雑に出来ているのかもしれないが、分からないことが、人生を面白くしている。
分からないことを愉しむ余裕が人生を豊かにするだろう。
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