退職後750日目、いいお天気、衣替え中であるが、いまだに扇風機を回して
半袖半ズボンでくつろいでいる。
部屋の気温は26.5度である。
夕方外に出ると夕焼けが綺麗で、風も優しい。
今日はジムでリトモスをしたが、ジムの帰りは買い物をしてまっすぐ帰ってきた。
お昼ご飯は蕎麦の中にネギと蒲鉾を入れたものである。
晩御飯には味噌汁を作ったが、生キクラゲを売っていたので、初めて味噌汁に入れてみた。
昔、ある占い師からキクラゲはいいよと言われたことがあって、それを思い出したのである。
そういえば今朝は、ムラゴンブロガーさんに以前教えてもらったM9ノートに1ヶ月のルーティン(やること)を書いてみた。
前回書いた時から半分くらい新しい項目に変わっていた。
それにかかる費用を見積もって計算すると、ひと月に使う金額が出てくる。
それに食品とか電気とか水道とかの絶対必要な金額を足すと、だいたいひと月に使う合計金額が出てくる。
こうやって計算してみると、毎月赤字になる理由が一目瞭然である。
それもあって、今日の昼ご飯と晩御飯は倹約モードにしたのである。
私の場合、感覚で生きていたら、無駄遣いの堕落生活になって、悲惨な老後の生活が待っていそうである。
とはいえ、お金を使う部分にだけ計画性を取り入れて、その他の部分は感覚的に生きるというやり方もある。
逆に言えば、お金さえあれば、お金の部分についても感覚的な生き方ができるということだろう。
かといって、お金を稼ぐのは大変なことである。
寿命も縮まるだろう。
そういえば今日からやっと図書館で借りていた小説小野小町百夜を読み出した。
10歳の小野小町が東北の実家を出て、都の実の父のところに数ヶ月かけて籠に乗って向かうところから始まっている。
母の大町も途中までは一緒に行くのであるが、途中で小町と別れて帰っていく。
別れの場面では思わず涙が出てしまった。
小町も最初はごねていたものの、最終的には、まだ会ったことのない都の父親篁が本当に母親の大町のことを愛していたのかを確かめるために、小町は母親の大町と別れて、都に行く決心をしたのである。
昔は東北から都に行くのに何ヶ月もかかったようだ。
今は寿命も延びたし、速度の速い乗り物も色々出来たし、当時に比べたら、何倍も色々な体験が出来るのかもしれないが、感覚は鈍化しているのかもしれない。
さっき、お金があれば、お金の部分も感覚的な生き方が出来る時書いたが、鈍化した感覚では感覚的な生き方は出来ないだろう。
ようやく答えが見えてきた。
色々なやることの計画はたてることは出来ても、自分の感覚の計画をたてることは出来ない。
自分の感覚との対話をして、自分の感覚が機嫌よくいるかを確かめよう。
感覚を心地よくさせることができれば、勝手に動き回って、幸せをもたらせてくれるだろう。
自分の機嫌をとること、一番大事である。
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