退職後273日目、初めての帽子をかぶってのウォーキング、やればできる。(笑)
昨日はまずはいつものジャズ喫茶に行って、チャイプリンとホットコーヒーを飲みながら、お店に飾ってある本の中から、ぽこぽこ、珈琲、という、たくさんの有名人が珈琲にまつわる、エピソードや思いを書いた本を選んで、少し読んだ。
この本を読んでいると、自分で豆を買って来て、豆から手間をかけて、珈琲を淹れて、のみたくなる。
でも、ある時、インスタントコーヒーを飲んで、その美味しさにびっくりして、インスタントコーヒーを飲むようになったという人も、一人だけいたように思う。
その店はレコードでジャズをかけているので、知らないアルバムで、いいと思っても、Amazonで検索してもCD化されていない場合は多々あったが、昨日いいと思ったものはCD化されていたので、その場で2枚、注文してしまった。
簡単にスマホ操作で買えるのが、いいのか悪いのか分からないが、売り切れて、後悔したくないという心理である。
たぶん、ここで一呼吸おけば、ほとんどの物欲は時間と共にさめていくのかもしれないが、それが出来ないのである。
もし、どんどん気持ちが盛り上がっていくものだけに絞って購入したとすれば、かなり節約になるだろう。
今後の課題である。
今日は久しぶりにいくつかすることがあるので、久しぶりに仕事ノートを記載してみた。
なんと1ヶ月半ぶりであった。
リストにかけるほど一日の仕事があると、気持ちも前向きになって、楽しい。
色々する中で、どんな気付きがあるか、楽しみである。
苦しいことは求めなくても、天が与えてくれるが、喜びは取りに行かないと、貰えないのかもしれない。
苦しみは人間の栄養となるが、好き好んで取りに行く人は少ないので、神がその嫌な役割を引き受けてくれているのだろう。
耐えられない苦しみは与えられないということが、よく本に書かれているが、神様も時には手が滑って、耐えられない苦しみを与えてしまうのだろうか。
まあ、まだ、生きているということは、耐えてきた、ということだろう。
苦しみが来たら、神が、まだ成長する可能性があると、期待している、と思おう。
苦しみの中にも、一筋の光を見出すことが出来るかもしれない。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。