退職後793日目、朝はジムでリトモス、その帰りに近くのマクドで
ランチ後、お茶しながら、今日図書館で借りた本を読んでいた。
土曜日にジャス喫茶の本棚にあった西荻窪の古本屋さんが書いた本で紹介されていた本が三冊と桐野夏生さんの読んでなかった本である。
古本屋さんが書いた本に紹介されていた関口良雄さんと佐藤泰志さんは二人とも初めて聞く名前だったが、それなりに面白そうで、三冊を並行して読み進めている。
ジャス喫茶の本棚にある本は新しい作者を教えてくれるし、かかるレコードも初めて知るミュージシャンを教えてくれる。
本は図書館で借りるが、CDは買うこともある。
ただ、ジャス喫茶のオーディオ装置で聴くといいが、家の装置で聴くとそうでもないという場合もある。
もちろん逆の場合もあるし、トランジスタラジオで聴くのが合う音楽だってあるだろう。
というか、今トランジスタラジオというものが存在するのだろうか。
たぶんあるだろう。
そういえば、青春時代は深夜放送漬けの毎日だった。
中学生でオールナイトニッポンを聴き始めた。
今でも覚えているのは、月曜日の糸井吾郎さん、あとは曜日は覚えていないが、あまいくにおさん、かめぶちあきのぶさん、・・・3人しか思い出せない。
RKB毎日放送で23時からやっていたスマッシュイレブンの林田スマさんも好きだった。
KBCでやっていた歌え若者で最初に流れるフォークルセダースの、青年は荒野をめざすや、最後にみんなで合唱していた、森山良子さんの今日の日はさようならという歌も物悲しくて好きだった。
そんな今から半世紀も前の思い出が、いまだに蘇ってくる。
無意味と思われたことでも、ちゃんと残っているのである。
というか、無意味と思っていたのは、単に思わされていただけなのかもしれない。
意味があることと、意味がないことの選別について、得られる知識が限られていた。
それは今でも変わらないかもしれない。
もちろん、得られる情報源は増えているだろうが、多すぎるということは、選択しなければならないということにも繋がる。
やはり、最後は自分の感覚という、神の選別が必要になる。
最後はいい結論に落ち着いた。
ゆっくり眠れるだろう。(笑)
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