退職後929日目、よく晴れた土曜日の朝、新快速電車で
東に向かっている。
昨日はZUMBAで心地よく疲れたせいか、昨夜はいつもより集中して眠ることが出来た。
では、毎日運動すればいいようなものであるが、毎晩心地よく眠るために昼間活動をするというのは本末転倒である。
ウォーキングにしても、筋トレにしても、腸活にしても同じことだ。
長生きするために今日を生きるというのも同様である。
ただ、病気をしないためにというと、話は変わってくる。
健康でないと今を楽しめない。
では楽しむために毎日生きるのかと言われたら、そうとは言い切れない。
と、言葉であれこれ綴っても限界がある。
多次元の世界で人間は生きているからだろう。
感覚でしか感じ得ない部分を人間は多く持っているようだ。
そしてそれを言語化出来たり、映像化出来たり、体現出来るのがスピリチュアルな人達だろう。
だからスピリチュアル能力のある人と関わってその辺の情報を手に入れたいのである。
そして、それが究めるということだ。
これではいつまで経っても極めることは出来ないことがわかった。
究めることに結論はなくて、死ぬまで求め続けるだけである。
求めないことが極めることに繋がるのかもしれない。
そういえば、昔、求めない、という本を読んだことがあったと思う。
内容は印象に残っていないが。
一年以上前にスピリチュアル系のセッションを受けた時によく言われていた、インプットよりアウトプットをしなさい、とはこのことだったのかもしれない。
時間は時系列で進んでいくが、気付きはジグゾーパズルのように、飛び飛びの部分が埋まっていくのである。
お行儀よくするのはこれくらいでいいだろう。
空いているパズルを埋めるために、飛び飛びの人生を生きることにする。
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