退職後887日目、久しぶりにいつものウォーキングコースの公園で
三点倒立と逆立ちをした後に書いている。
毛糸の帽子をかぶって、手袋をつけて、芝生の上で大きな石の手前に頭をついてやってみた。
何とか出来るのは出来たが、相当体力を消耗してヘトヘトになる。
ネットで調べると首を痛めたとかいう事例が結構あるので、要注意であるが、何となく勢いでやっている。
昨日氏神様に一日参りをしていなかったので、してから、公園にきている。
さて、今日は何も予定を立てていないので、のんびりしている。
夜眠るためには少しヘトヘトになるくらいの運動が必要であろう。
サラリーマン時代は睡眠時間が少なくて、夜眠れない心配とかほとんどなかったが、最近は珈琲はよく飲むし、運動はほどほどなので、夜中まで眠られないこともたまにある。
それでも、目をつぶっていれば、そのうち眠っていることがほとんどである。
よく考えたら、眠ることは究極のスピリチュアルのような気がする。
夢を見ることはスピリチュアルで言う映像が見えるということになるだろう。
ただ、夢は夢としか捉えられないので、普段はスピリチュアルとは無関係と思うのである。
人気が操っているはずの言葉に人間が操られている。
本末転倒である。
言葉はとても便利で、言霊と言われるように霊的な作用もするが、反面、言葉の奴隷になる危険性も秘めているのかもしれない。
時には言葉よりも感覚のみを信じて行動することも大事だろう。
お互いに補い合い、助け合う関係が理想だろう。
言葉で表すことに疲れたら、感覚に従って行動してみよう。
新しい発見があるかもしれない。
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