退職後178日目、歩いていると汗ばむが、ベンチに座ると風が冷たい、動くことはエネルギーを出すことだとわかる
今朝は少し霧がかかっていて、ベランダの手摺りが、水滴で水玉模様になっていた。
昨日ウォーキングで小学校の前を通ったとき、日の丸と小学校の校章旗が掲揚されていて、校門には卒業式と書いたプレートが立っていた。
それで、遠い昔の、母校である、京町小学校の卒業式を思い出した。
小学校時代の先生は低学年と高学年で、三年づつ受け持ってもらったが、お二人とも、独身のとても真面目で厳しい女性の先生だった。
卒業して一度だけ卒業生数人で先生のお宅に何かの理由でお邪魔したのであるが、畳の4畳半か6畳くらいの部屋に本に囲まれて座布団に座られていた、静かな佇まいを思い出す。
その時プレゼントに持っていった本は、確かテレビで放映されていた原作の船場という本だったと思う。
今でこそ、大阪に行った時、南船場とかにも縁があってよく知るようになったが、その時は、九州からも出たことがなく、大阪は遠く離れた都会のイメージだった。
今は、数は少ないが、仕事や遊びで、日本各地を知るようになったが、今住んでいるこの場所が、終の住処になりそうである。
そうであれば、如何に今の環境を愛するか、を考えるのが、気持ちよく毎日生活出来る近道ではないかと思う。
前のブログにも書いたが、今の状況を否定して発展する方法と、現状を肯定しながら発展する方法がある。
私の人生はどちらかというと、後者のやり方で進んできた。
というより、それしか出来なかったのかもしれない。
否定するのが怖いとか、もったいないとか、そういう消極的発想である。
人生を新しくするには、巨大な推進力を必要とする。
簡単にいうと、活力や元気が必要になる。
たぶん、私は現状を如何に気持ちよく過ごそうと表では思いながら、本当は活力や元気を手に入れて、その推進力で、今までとは違った新しい境地を手に入れたい願望があるようである。
外は穏やかでも、内なる炎の種火は、まだ燃え続けているようだ。
そろそろ、その炎を外に出して、思い切り炎を上げさせてもいいかもしれない。
無くすものは何もない、とカッコつけたいが、無くすものはたくさんある。(笑)
この状況で、如何に自分を焚き付けるか、これからの人生は、自分の炎を燃え上がらすために、自分で自分を遊んでみようと思う。
「遊ぶ門には福来る」である。
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