心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後456日目、スターバックスで、ホットコーヒーとあんバターサンドを食しながら

ということで、通りに面した腰掛けに座ってくつろいでいる。


今日は多くの会社が仕事納めで、色んな思いを胸に秘めて出勤しているのだろう。


年末年始のあの独特な雰囲気、どういう風に挨拶しようかと事前に考えて、たいていの場合は、予習通り上手くいくのであったが。


ただ、それを考えるのがとても疲れていた。


やっと昨年解放されて、一年と三ヶ月が過ぎた。


目の前に見えるバス乗り場では、明らかに若い人たちがそれぞれの目的の場所に向かって、バスを待ったり、歩いている。


頭の中には何があるのだろうか。


今日の仕事のこと、家に残してきた家族のこと、はたまた自分の将来のこと、地球の上で、ほとんど調和しているかに見える。


これだけたくさんの人間がいて調和出来るということは、やはり、どこかで繋がっているのだろうか、それとも、神様に操られているのだろうか。


そういえば一昨日、ある女性とスピリチュアルについて話していたのだが、私が学びつつあるスピリチュアルの内容をさらさらと発言し、更に、これはスピリチュアルと思ってなくて、人間として、ごく普通のことだと言ってのけた。


まあ、女性だから素直に聞けたが、男性だったら少し嫌な気持ちになっていただろう。


まあ、考えてみれば、スピリチュアルを普通のことと思っている人は、スピリチュアルはスピリチュアルではないのだろう。


まあ、考えようによっては、人それぞれにタイミングがあると思うので、じっくり勉強して、そういう境地に達するのも、また意味があるのだろう。


取り止めのない話になったが、今日は久しぶりに自分で購入した越智啓子さんの人生のしくみという本を持ってきて、これから読もうと思う。

この本はスピリチュアル講座の先生に薦められて買ったが、10年以上前に同じ本の旧版を買って本棚に飾って(笑)いたのを思い出した。


大幅に書き直されているらしいので、落胆しなくて良かった。


以前買った時は読む気がしなかったのだが、今回は読む気満々である。


全てはタイミングという、いい例だろう。


諦めないで待つ、諦めて待つ、まあ、待つということでは同じだろう。


言葉は違っていても、意味は同じことはたくさんある。


だから、言葉を理解する前に、言葉の奥にある真意に触れることが大事だろう。


とても単純である。


その単純さは、思考が働く前に一瞬の煌めきのように、頭の中に映し出されるものだと思う。


一瞬の煌めきと閃きを活かして生きよう。


違う人生の扉が開くかもしれない。