退職後560日目、今日も快晴、気持ちが良い朝にウォーキング、逆立ち、ストレッチ
をして、ベンチで書いている。
昨日は一昨日に無料の電話占いをした方のところに神戸まで出かけた。
本拠地は京都なのだが、初めて神戸に来られたそうで、嘘のような仕組まれた出会いにびっくりしている。
よく言われる、あなたはもう学ぶ必要はなく、占う方の席に座る人だとか言われて気分を良くした。
ただ、相談を受けるにしても資格を持っておいた方がいいので、カウンセラー2級だったら6万円くらいでとれるので勧められた。
占いとかももうしてもらう必要はないと言われたが、また会いたいというと、ぜひ来て下さいと言われて行く気になっている。(笑)
ということで、今日はウォーキングから帰ってから、スピリチュアル講座の最後の回の受講がある。
この講座での一番なら収穫は空中ヨガだったが、まあ、人生とはこういうものだろう。
あるものを得るためにした行為で、結局は違うもっと素敵なものをゲットしているということである。
チャンスはどこにぶら下がっているかわからず、かといって、狙っていても捕めるとは限らない。
ということで、根無草のように漂うことも無駄にはならないだろう。
昨日の占いでも言われたが、私には答えの無い人生の方が合っているみたいである。
答え合わせをし過ぎているみたいである。
これも小学生の頃から学校のテストで点数をつけられてきた影響かもしれない。
答え合わせをして、いい点数だったら喜ぶ、ただそれだけである。
答えの無い人生の方が合っていると言われると、すごい楽になる。
「答えがない」、ということは、答え合わせが出来ないということである。
いや、「出来ない」じやなくて、する必要がないと言った方がいいだろう。
要するに正解、不正解がないので、どっちでもいいのである。
答えの無い人生、どっちでもいい人生、それが私の人生である。らしい。(笑)
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