退職後104日目、遅めのウォーキング、少し歩くと汗ばんで、一旦たくさん来ている服のボタンを外す、冷たい風が心地よい
今日のジムのZUMBAは13時55分からなので、少しゆっくり目に、ウォーキングに出発した。
朝、占いのカードを引いたら、自然の中で、一人になって、今何がしたいのか自分の潜在意識に聞く、というカードが出たので、早速、いつもの公園のベンチで考えていた。
やはり、行き着くところは、いい女性(笑)と、いい音楽をバックに、美味しい珈琲か、お酒を飲みながら、取り止めのない話をして、楽しむ、というところになる。
但し、イケメンで、金持ちで、いくらでもこういうことが簡単に出来るようになったら、たぶん、こういうことを常時していても、楽しくなくなるだろう。
ほとんどが渇いた時間で、たまにこういう潤いのある時間があると癒されると思う。
まあ、全てがそうである。
何か最高のものに出会ったと思っても、ずっとそれに浸っていたら、その素晴らしさが薄れていく。
人間でも同じだろう。
色々な人たちの中で泳ぐことによって、ある特定の人の素晴らしさを再認識することがある。
人生に無駄なものが必要なゆえんは、ここにあるかもしれない。
無駄なものによって、素晴らしいものの輝きが増すようである。
宝くじでも、多くの外れ券によって、当たり券が存在することが出来る。
ということで、不良に憧れるのも、不良が多くの無駄なことに時間を費やしているからだろうか。
そう考えると、無駄と思える時間も愛しく思えるようになる。
さて、今日はどんな無駄な時間の中で、光る輝きを見ることが出来るか、楽しみである。
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