心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後565日目、昨夜はやっと暖房をつけなくても寒くなかった、ウォーキングして

逆立ちやストレッチをすると汗ばんでくる。


いよいよ夏の足音が聞こえてきた。


ということで、昨夜は腸活講座の7回目で、口頭での卒業テストがあつがあった。


準備の甲斐あって無難に答えることが出来た。


テストの前に幸福感についての話をされていた。


ドーパミン的幸福、オキシトシン的幸福、セロトニン的幸福の三つがあるらしい。


ドーパミン的幸福とは一時の幸福感で、

給料が上がったとか、地位が上がったとか、である。


オキシトシン的幸福とは愛とか絆的な幸福感で、相手が必要になる。


セロトニン的幸福とはまさに腸活のように、体が健康であるとか、住む家があるとか、今あるものに焦点を当てて、その幸せを感じることらしい。


ということで、セロトニン的幸福が土台にあれば、オキシトシン的幸福にもチャレンジ出来るし、また、どちらもあれば、ドーパミン的幸福を得ることに失敗しても耐えられるたらいうことだ。


セロトニン的幸福やオキシトシン的幸福感なしで、ドーパミン的なことばかりを求めていたら、一時の達成感や幸福感は得られるが、またすぐに飽きて、更に上を目指し、いつまで経っても、安定した幸福感が得られないらしい。


なるほど、言い得て妙である。


私もスピリチュアルで、ドーパミン的幸福を得ることを繰り返してきた。 

 

そして、終わりのない迷路に迷い込んでしまった。


所詮、答えを求めるから、終わりがないのである。


答えを求めず、その時その時の今ある幸せに目を向けたら、安定した幸せが得られそうである。


その上で、ちょこちょこドーパミン的幸せに浸るのもいいだろう。


さて、今日はジムでのリトモスに1時間半並んで、インストラクター真ん前の定位置を確保することとする。


リトモスで踊ることは、どの幸せになるのだろうか。

そんなことを考えても楽しくないので、考えないことにしよう。


考え過ぎは、考えなさ過ぎ同様に良くない。