心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後248日目、天気がいい日の朝は寒い、そして急激に暑くなる

静かなる男

ということで、朝は半袖半ズボンで、出したままの足温器に脚を突っ込んだ。


庭の薔薇がたくさん咲いていたので、写真を撮った後、ラジオを聴いていたら、今日は薔薇の日らしい。

ローズで6-2らしい。


そういえば、昨日、数年前にスピリチュアルのワークショップで出会って、その後一回福岡で神社周りやスピリチュアルなお店を案内してくれたスピリチュアル仲間からLINEが来ていて、返事に私の近況を報告して、このブログのことも伝えた。


まあ、お互いスピリチュアルからは一旦離れた方がいいかな、ということで一致した。


スピリチュアルは悩みを軽減して、楽しく生きるための手段であって、スピリチュアルが目的になっては本末転倒である。


スピリチュアルを哲学に置き換えてもいいかもしれない。


平和とか宗教もそうだろう。


だが、なんでもお金が絡んだ途端に、目的優先になってくる。


今、少しずつ読んでいる東京貧困女子でも、お金のためには、だんだん手段を選ばなく、というより、選べなくなって、望まない仕事をして、体が蝕まれていく。


要するに、手段が大事と言いながら、生きるか、死ぬかになると、生きるという目的を選ぶしかなくなるようだ。


そういえば、昔学んだ、欲望の段階で、一番下が生きる欲とか食欲とか睡眠欲で、あと性欲とか、上の方に承認されたい欲とか、自己実現欲とかあったように思うが、人間はこの色々な欲望の中を日々、もっと言えば、毎時間毎時間、移動しているのであろう。


私がブログを書いている目的は、自分の魂の声を聞きたい欲と、その声を誰かに聞いてもらって、役に立ちたいという欲だろう。


そういう意味では、毎日ブログが書ける状況にあること自体、恵まれているのかもしれない。


少なくとも、一番底辺の欲望は、十分とは言えないまでも、達成されているから、書けているのだろう。


魂の声を聞くと、落ち着くのかもしれない。


嘘の自分を生きていると、疲れるのだろう。


ということで、今日は、自分の欲望に寄り添って、自分の魂の声を聴きながら過ごそう。


喜んだ魂が、私を喜びで満たしてくれるだろう。