退職後835日目、ジムで今年初めてのリトモスをした後、
近くのマクドで昼ご飯を食べて、お茶している。
今日はマクドなので甘いものは無しである。
ポテトもやめてサラダにした。
ジムを出て車のところに行ったら、フロントガラスに雨粒が付いていた。
バスマットを外に干していたが大丈夫だろうか。
流石に平日の昼下がりのこの時間は人が少ない。
昔、同業者の集まりがあって、2ヶ月に一度東京に出張していた時があったが、東京駅でパソコン仕事をするために東京駅の改札を出たところにあったマクドで、ハンバーガーとコーヒーのセットが200円であって、それを食べながら、電源のある席に座って仕事をしていたことを思い出す。
でも少し贅沢なメニューにすると、すぐに1000円近くなってしまう。
まあ、よく考えられた店の運営の仕方である。
ここのマクドはもう10年近く前に出来て、あまりにも家から近いので、知った人に会うのが嫌で、長いこと行ってなかったが、以外に近くの人は来ていないことがわかって、たまに来るようになった。
この例から言えることは、案外思ったようには現実は動いていないということである。
ということで、現実を知るためには現実の中に身を投じて体験するしかないのである。
そして、たいていのことは思ったより大したことはないのである。
たいていのことは勇気を出して進むと道は開けるのである。
そういえば、カーネギーとかいう人が書いた道は開けるという本に出会ったのが、大学受験で大阪豊中の親戚の家に居候していた時である。
一部屋を私のために空けてくれたが、そこにはステレオとか本棚があって、FM大阪を聴いたり、道は開けるのような自己啓発本を読んだりしていた。
近くには万博跡地もあったので、試験が終わった後に散歩したりした。
何か連想ゲームみたいに色々が思い出の引き出しが開けられていく。
死ぬ時は思い出さえも消えるのだろうか。
まあ、生まれ変わるためにはそれも必要なことかもしれない。
せいぜい生きている間は時々思い出に浸るのもいいだろう。
でも、まだまだ思い出は作る方に専念したいものである。
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