退職後487日目、ロックな気分なので、サンタナのスーパーナチュラルというCDを聴いている、たまにはいいだろう
ということで、少し落ち着いた。
天気のように、気分も上下する。
腸活の先生が言っていたように、血糖値が安定していないのが原因だろうか。
まあ、悪く考えないで、単に元気が充満していると考えよう。
今日の朝は地区の自治会の神社にお供え物をする係りの当番表を作って、ポストに入れてまわった。
やっと3月末でこの仕事を引き継ぎになる。
この一年(といっても、まだ2ヶ月あるが)、冠婚葬祭もなくて、お祭りもなくて、懇親会もなくて、とても楽だった。
地域の人との結びつきが薄くなるという点では良くないのかもしれないが、都会だったらこういう交流はないのが普通だろう。
子供の頃は自治会とかはなかったと思うが、回覧板は回ってきていた。
昼過ぎにこの仕事が終わって、○○食堂という、陳列棚に一品料理が並んでいるのをとっていって、最後にご飯と汁物を頼んで、お勘定をするところで、昼食を食べた。
秋刀魚の塩焼きが500円で一番高い買い物だった。
あとは、オクラとか、ゴボウのきんぴらとか、小松菜のおひたしとか、豚汁とか、腸活で学んでいる体に良いと思われるものばかり頼んだら、以外と高くついた。
一度に頼みすぎである。
だけど、全部食べることが出来た。
体にいいものは量もたくさんいけるということか。
この方式の食堂に初めて出会ったのは大学で下宿している時、同じく下宿している友達に誘われて行った時である。
お金がない時はおかずを減らせばいいだけなので、このシステムに感動したことを思い出す。
あれから半世紀も経ってしまった。
たいしてあの時の気分と変わっていないような気もする。
50歳で振り出しに戻って、今シックスティーンなのかもしれない。(笑)
あの時は、未来に対する不安が50で、期待が50だったような気がする。
今も全く同じである。
いいようにとれば、バランスがとれている最高の状態なのかもしれない。
不安がなくて、期待しかない状態を想像してみよう。
ある不安を見ないように努力するために、とてもストレスになる。
これは前にも書いた本音に向き合うということに繋がるのかもしれない。
不安が本音であればそれに向き合い、期待が本音であれば、同じように向き合う。
そうすれば、新しい世界に行けるかもしれない。
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