心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後435日目、寒くて何もする気にならない、そんな時はブログを書こう(笑)

ということで、ブログを書いている。


昨日はお気に入りのカフェで、初めて食後に紅茶を頼んだ。


アールグレイとアッサムとダージリンとあったが、ストレートで飲みたかったので、アールグレイを頼んだ。


アッサムはミルクティが合うらしいので、次はアッサムにして甘くして飲んでも美味しいかもしれない。


さて、昨日は夕陽が金色に輝いていたので写真に残した。


赤い夕焼けもいいが、金色の夕陽もまたいいものである。


そういえば月曜日に会社のOB会の会報誌が送られてきていた。


ちょうど一年前の会報誌には幹事として関わっていたので、懐かしく見た。


特に近況報告は悲喜交々で興味深い。


私の場合、あまり辛いことや悲しいことは書きたくないので、無難にいいことだけを書いているが、悪いことしか書いていない人もいる。


誰かに苦しいことを聞いてほしいのかもしれない。


ある意味、そんな風になれたら楽なのかもしれない。


カッコつけなくてもいい人生、カッコつけることでバランスをとっている人生、たぶん、状況に合わせて両者を使い分けているような気がする。


本当に弱った時は、カッコつける元気もなくなるだろうと思う。


だから、弱ることも必要なのである。


ところが、何重にも歯止めを効かせているので、弱り切る前に防御して何となく中途半端な生き方を続けているのである。


それはそれで幸せなことかもしれない。


小市民的幸せというやつである。


そして、これもまた、簡単そうで難しいのである。


平和な時が続くと、平和に麻痺して、生きている喜びを感じられなくなるのである。


人間は何て欲張りなんだろう。


昇ぼるよりは落ちる方がエネルギーがいらないので、落ちることで、生ぬるい現状から出ていこうとする。


そして、あとはもう上がるしか、変わる選択肢がなくなるので、昇っていくのである。


要するに、小市民的幸せと、落ち込んだ世界を行き来して、なんとか生きている実感を味わえているのである。


そろそろ天国行きも近づいてきたので、天国に行く前に、この世の天国を味わってみたいものである。


まあ、天国に昇る途中としては、恰好の中継点になるだろう。


もちろん、余生も長くなれば、またそこも飽きてくるかもしれない。


その時はもう一往復するのもいいだろう。


最後には昇っていけると思えば、全ての道のりは愛しいものに思えてくるだろう。


苦しみも悲しみも、悔しさも喜びも、みんな抱きしめてあげよう。


みんな自分の感情なのだから。


自分を愛するものは救われるだろう。


自分の味方を自分がしなければ、悲しすぎる。


さて、スッキリしたところで、今日も人生航路の旅に出よう。


全ては自分の魂が知っているので、魂に委ねながら生きていけば、怖いものはない。たぶん。