退職後112日目、今朝の神戸のラジオ放送局では阪神淡路大震災にまつわる曲の特集をやつていた。27年が経つ。
時間が遅いせいか、いくぶん気温も上がって、冷たい風も心地よい。
今は田舎町に引っ越したが、当時は神戸市内の震源に近い所に住んでいて、地震が起こった時間は、震源地の淡路島を見ながら、最寄りの私鉄の駅に走っている所だった。
まだ暗い時間だったが、稲妻が光って、あたりの電灯が消えたのを思い出す。
それから、どうやって、普通の暮らしに戻っていったかは、断片的にしか覚えていないが、その後、それ以上に大変なこともいっぱい起こったので、その印象は薄れがちである。
大変なことは、それ以上大変なことによって、上書きされるようである。
でも、それが平和な時に、時々顔を出して、世の中の不条理を悲しまさせることもある。
楽しい思い出はとても穏やかなので、悲しい思い出の涙には勝てないようだ。
だけど、悲しみが消えた時は、その温かい穏やかさが全面に出て、体を包んでくれることもある。
楽し思い出は、とても慎み深いらしい。
人間もそうだ。
気持ちを暖かく温めてくれる人は、知らないうちに、私の心の中に入ってきて、知らないうちに、癒してくれている。
だから、つい空気のように、見逃してしまいがちである。
人知れず、人の心を温められるような人になりたいと思う。
そんな震災27年目の、平和な田舎町での一日が、今日も始まる。
心を暖かくして、過ごそうと思う。
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