退職後1413日目、よく晴れた夏の朝、ヨガをするために、快速電車で、
東に向かっている。
今日も最寄りの駅まで自転車で来た。
少しでも体を動かすことがいいと思うのと、もちろん、駐車場代と駐輪場の差額が得になるからである。
一石二鳥である。
この歳になると、ちょっとした体のトラブルで、活動範囲が制限されることがある。
普段はそんな不測の場合とか考えずに、今の状態が永遠に続くと思って、油断している。
でも、今の状態は、幸運の積み重ねのうえに成り立っているのかもしれない。
もちろん、不幸の積み重ねの上に在るという考え方も、同時に成立するが、そうは思いたくない。
いいことが、砂浜の、星の砂のように、草原の、四つ葉のクローバーのように、散りばめられていて、そんなに悪い人生でないと、思わせてくれる場面もある。
いいことは、たまにあるから、いいのである。
残り少ない人生なので、少しでもたくさんいいことを体験したいと思っていると、いいことが、良いことでなくなる場合がある。
この辺が神様の憎いところである。
神様は、わがままが嫌いなのかもしれない。
ということで、人間としての欲望と、神様に好かれようとする真面目さの間で、右往左往している。
もっとも、神様に好かれた途端に天国行きが決定するのであれば、このまま、迷走しているのも悪くはない、とか思ってしまう。
スピリチュアルを志向していても、悟りきれないところは、この辺にあるのだろう。
アクセルとブレーキを同時にかけているのである。
そういえば、あるブロガーさんに、私は怖がっている状態がベストと言われて、激しく納得したが、こんな状態もある意味、同じかもしれない。
白黒はっきりさせない方がいいのかもしれない。(このフレーズもある占い師に言われたことがある。)
宙ぶらりんの状態も、人間として完全な状態と思えば、完全は求めなくてもよくなる。
今日は不完全な自分を完全と思って、愛することにする。
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