退職後1147日目、天気予報が変わって、よく晴れて気持ちのいい朝だ
空中ヨガのジムに行くために、快速電車に乗っている。
昨日は地元のジムでヨガをした後に、カフェでランチしてから、オレンジジュースを飲みながら、家庭画報と婦人画報を読んだ。
1人の客は私以外誰もいない。
都会と違って、田舎はおしゃべりする目的でカフェに来る人が多いようだ。
そして、全員が平均的に喋っていることは稀で、たいていは、よく喋る一人が気持ちよさそうに喋りまくっていることが多い。
もちろん、人員構成が変われば、その聞き役の人が、今度は喋る側に回るのかもしれない。
もちろん、組み合わせによっては、全員黙ってしまう場合や、全員が喋りまくって、収集がつかなくなることもあるだろう。
ということで、人が集まって、コミュニケーションをとるのは博打みたいに、当たり外れがあって、面倒である。
余裕があれば、それを楽しむことも出来るだろうが、残された時間が限られている状況では、そういうのには付き合っていられない。
ということで、そういうコミュニティへの参加は極力減らしてきた。
ブログにしても、毎日書かないといけない呪文から解き放たれて、とても楽になった。
束縛されるのは嫌だが、一方、束縛される心地よさもあるのかもしれない。
流される心地よさかもしれない。
ということで、色々なところに心地よさがあり、不快なことも同時にある。
結局、小さな博打を繰り返しながら、人生は淡々と過ぎていく。
いや、淡々とじゃなく、ドロドロと過ぎていくこともあるだろう。
こんな訳の分からない世の中なので、良いことがあったり、悪いことがあったりするのは当然だろう。
そして、悪いことがあるおかげで、良いことが、より際立ったりするのである。
もう感謝しかない。
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