退職後1070日目、9月に入った途端に、暑い夏が戻ってきた
今日は、TSUTAYAの本を持ってきて読めるスタバに行って、家庭画報と婦人画報を読んだ。
あまり読むところもなかったので、さっと読んで、図書館で借りていた本も少し読み進めた。
月刊誌を毎週充実した内容にするのは苦労するだろうと思う。
そんなにネタが転がっているわけないだろう。
そういう意味ではブログも同じである。
ただ、ブログの場合は自己満足していればいいが、月刊誌の場合には読書を満足させることが必要になる。
面白くなければ、売れなくなって、採算がとれなくなる。
ブログの場合は面白くなくても、どおってことはない。
気楽なものである。
とはいえ、誰か、私を知っている人に読まれてないかと、色々と配慮して書いてしまう。
せっかく匿名にして書いている意味が薄らぐ。
そういう意味では、エッセイを書く人とかすごいと思ってしまう。
今から、もう四半世紀も前になるが、あるジャズバーで、カウンターのいくつか横に座った男性が、伊集院静はいい、と言った言葉で、伊集院静さんの小説やエッセイを読み始めたが、特に、ある週刊誌に連載していたエッセイは好きだったので、毎週その週刊誌を買ったほどである。
私の性格とは全く違うので、憧れもあったのかもしれない。
ということで、再読しようと思って、読み始めたが、当時感動したほど面白く読めなくて、途中でやめてしまった。
カッコよく生きようとするのに疲れてきたのかもしれない。
いや、カッコよくは生きたいのだが、カッコいいという基準が変わったのだろう。
カッコいいとは、ちょっとだけ努力して得られる、とても親しみ深いものに変わった。
歳を重さねることは悪いことばかりではない。
自分の輝きが自分に見えるようになる季節なのかもしれない。
もっと素直になってもいいということだ。
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