退職後1062日目、今日が返却期限の椿の恋文を読み終わって、
図書館に返しに行った。
今回も何度か涙が出た部分があった。
ツバキ文房具店はシリーズもので、一冊目は単行本で買って、二冊目のキラキラ共和国は文庫本で買って、そして、三冊目のこの本は図書館で借りて読んだ。
稼ぎに合わせて、本の手に入れ方が変わってくるのが面白い。
というか、上手いこと出来ていると思う。
収入が減ったら、それに合わせて出ていくものも減らして、帳尻を合わせている。
だが、それを無視して、余生で一番若い今を最大限に楽しむため、という理由で、分相応でない贅沢をしている部分もある。
まあ、何が正解かは死ぬまで分からないのである。
そして、厄介なのは、死ぬのがいつか分からないので、帳尻を合わせることが出来ないことである。
元気な時は永遠の命と思ってしまうし、病に倒れると、明日死んでもおかしくないと思ってしまう。
そうやって、時と共に、だんだん死が現実味を浴びてくるのである。
最近は元気が戻ってきたので、あまり死について考えなくなったので、こんな文章も第三者事として、面白おかしく書けるである。
お金が無くなった時の為に倹約したり、死が近づいてきた時の為に、今のうちにお金を楽しみに使ったり、色々と心は変化して、それに合わせた行動をしている。
自動操縦装置が付いているのである。
が、それが壊れることもある。
分かりにくいが、大きな意味で、病の一種であろう。
そして、その治し方は人それぞれで、運にも左右されるようだ。
結局は、運とか、スピリチュアルとか、そういう目に見えないものに、幸せになる鍵があるようだ。
幸せを得るためには幸せを探さないことだ。
幸せは探さなくても、自分の生き方をしていれば、空から降ってくると思いたい。
人生は思うほど簡単ではないが、思うほど難しくもない。
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