退職後1027日目、氏神様お参りの後、いつものウォーキングコースの
陸上競技場がある公園のベンチで書いている。
久しぶりに、高校生の陸上競技会に遭遇した。
いつもグランドゴルフをしている広場が駐車場になっていた。
今日はまた朝から暑いが、高校生のような若さがあれば、かえって気持ちいいのかもしれない。
私とて、こうやってベンチに座って、卓上扇風機を顔にかけていれば(笑)、若かった頃の、夏の輝きを思い出して、魂が喜ぶのである。
魂が喜ぶことをした時は、顕在意識の私も喜びを感じる。
ただ、顕在意識の私が喜んでも、魂が喜んでいない時はしばしばある。
顕在意識の欲望のために動いてる時である。
魂の声を聞くコツを掴むことが大事である。
これが修行と言われるものだろう。
ということで、修行は苦しむためにするものではなく、喜びを味わうためにするものだったのである。
苦しむことが喜びへの近道だったとは、人生は皮肉なものである。
神様の性格はちょっと複雑で、素直では無いみたいである。(笑)
だから、人間には素直さを求めるのかもしれない。
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