心の旅路のブログ

スピリチュアルと本と音楽とヨガが好きな65歳男性の日記です。

退職後994日目、大雨の中を空中ヨガのジムに行くため、

快速電車で東に向かっている。


体調は全快と言いたいところだが、喉がむず痒い時があるので、トローチを舐めて抑えている。


少し良くなってきたので、昨夜は少し油断して、寝るのが遅くなった。


もちろん、気をつけて、エアコンは付けないようにしているので、多少は暑いが、健康にはいいだろう。


いつもなら、少し寒いと思うところまで、付けっぱなしにしているところである。


まあ、一事が万事だろう。


少しの贅沢は少しの不健康をもたらし、少しの節制は少しの健康をもたらすということである。


どちらがいいかは一目瞭然であるが、人間の哀しさは、健康であればあるほど、前者を選択しがちというところにある。


一病息災とは、よく言ったものである。


お金も同じだろう。


その人が一番健康に過ごせるお金の量があって、それより多く持てば浪費するし、それより少なければ、倹約したり、稼いだりして、適正量にもっていこうとするのである。


ただ、その平衡感覚が麻痺して暴走する時がある。


俗に言う、魔が刺す、という現象である。


これが中毒性があって、こじれると、立ち直るのに時間がかかる。


そして、誰かを傷つけ、更には、自分も傷つける。


だから、世の中は、心に傷を負った人間で溢れているのである。


だから、優しさを求めて彷徨う。


もちろん、優しさが傷に染みて、尚更痛む場合もあるし、厳しさの方が傷を癒す場合だってあるだろう。


だから、厳しさも優しさも必要なのである。


世の中には厳しくするのが得意な人と、優しくするのが得意な人がいる。


専門職である。


一方、両方得意な総合職の人も少なからずいる。


今、私に必要なものは、優しさだろうか、厳しさだろうか。


その両方を持った愛だろう。


愛は優しさと厳しさで出来ている。たぶん。