退職後966日目、朝からいいお天気、空中ヨガをするため、
快速電車で東に向かっている。
毎週、毎週、毎月、毎月、毎年、だいたい同じことをやっているようでいて、何かをやめ、何かを始めて、少しずつ変わってはきている。
もちろん、戻ってくることもあるだろう。
ただ、言いたくはないが、だんだん死に近づいていることも確かである。
生きている間は元気でいたいとか、ころっと死んだらいいね、とか、会話の中でよく出てくる言葉である。
病気をして苦しんでいたら、もちろんそう思うのであるが、今元気なのに、そう思って、ウォーキングしたり、ジムで筋トレしたりして、健康を維持しようとする。
そんな時に、こんなことでいいのだろうか、と思ってしまう。
人生の後半に、ご褒美として与えられた貴重な時間の使い方として、死ぬ時に納得出来るだろうか、と、思ってしまう。
生ぬるいお湯から出て、もっと苦しまなければ、と思ったり、する。
苦しむことで、生きている実感を味わう。
サラリーマン時代は、そうやって、自分を追い詰めてきた。
そして、今、またこんなことを書いてしまっている。
スピリチュアル的にいえば、これがブロックというものだろう。
スピリチュアルを習っていた時は、ブロックの外し方というテーマが必ず出てきていた。
ただ、私の場合は、そのブロックを心の奥底に隠して、まな板の上に乗せなかったようだ。
相当な頑固者である。
結構悲観的なことを書いているようで、気分はそんなに悪くない。
もしかしたら、書くことで、膿み出しををしているのかもしれない。
人の悪口を言っている人も、周りは気分が悪くなっているかもしれないが、本人は案外毒出しをして、健全になっているのかもしれない。
ブログの場合はどうだろう。
幸いなことに、見る方に選択の権利があるので、自分に必要なものだけを選択して、取り入れることが出来る。
とても優れものである。
ということで、出てきた思いを書き綴ったので、気分爽快である。(笑)
何を書いたかも読み返さなければ思い出せない。
神様は忘れることを与えてくれた、と、チューリップも歌っている。
言い得て妙である。
神様が与えてくれたその特性を活かさないと、人生はとても苦しくなる。
ただ、残念ながら、人間は賢くなりすぎて、神様の言う通りに生きる以外の生き方を発見した。
そのかわり、その代償もきっちり、持たされたのである。
まあ、人間が選んだ道だ。
神様の方がずっと楽だけど、人間の方が、考え方によっては、ずっと面白い。
だから、今日も考え続けるのである。(笑)
人生を面白くするために。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。